忘備録

YES

ひと月くらい前からずっと気になっている言葉があって・・・
【多元的無知】pluralistic ignorance
という言葉

聞いたことありますか?

その定義は、
「多くの人々がある特定の価値観や意見を受け入れていないにもかかわらず、自分以外の他者は受け入れているだろうと誤って思い込んでいる状態」
・・・と、なんとも頭をつかう内容ですが、とても印象的なのです。

この心の動きについて考えてみたのだけれど、今問題とされる色々なことが説明できるような気がするのです。たとえば、「男性育児休暇」(そもそもこれに関する九大の研究に関する記事で”多元的無知”という言葉をしりました)にしろ、タイムリーな話題でいうと「低い投票率」とか。

日本という国は自然資源にも恵まれ、おおかれすくなかれ改善することはあるにしろ、冷静にみると、少なくとも制度や法律上はそこそこいいものなのではと思うことがあります(この点はキリがないので)。色々やんややんやいうことはあっても、システムにしろ法は在って、むしろそれが実現できていないことにこそ問題があると思うのです・・・が、その心理的なカベはたしかにある。

労働のしかたにしろ、育児休暇にしろ、たくさんの情報がはいってきて、それは事実なり噂なり、あるひとの感想だったり・・・いろんなものが多層的になって結局自分の意識の中で、ありもしない事実をつくってしまって・・・とか。

選挙にしぼっていうなら、選挙権を得るまでの歴史、国からうけている恩恵、民主主義のいいところ。そのあたりを少しでも感じているのならば、選挙にいかないという選択肢はありえなくて。たぶん、この文をここまで読み進めるような人はたぶんふつうに行っていると思うのだけれど。じぁ、行かない人に対してそのカベを越えるようにするためには、実は「選挙にいこうよ」っていう言葉よりも、そういう空気みたいなものを周りにつくることの方がじつは行動に結びつくってこともあるのかもしれない、とこの言葉を知って思いました。

つまり、誰が当選して、法律がどうなって、国がどうなって、っていうお話は正解を求めるものじゃなくて、その後を生きる人の心持ちが大事ってことなんだと思う。だからこそ、あきらめずにとにかく考え続けよう、よりよくなるために。

秋といえば秋らしい長雨。紅のさし色。 ・ Try to look without knowledge of what it is you’re looking at. We sometimes pretend that all of stuff has a meaning, and that we know what it is. Just feel that it is beautiful. ・ すこしでも時間ができると人間不思議と自分の内へと意識が向く。そして、これが現代人。何につけても”意味”をもた